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インタビュー

ダイオウイカの解剖を指揮した広橋教授って、どんな人?フカメディアが解剖を試みた

「ダイオウイカの研究者ではないですよ」

2023年11月23日。ダイオウイカの解剖を指揮した島根大学の広橋教貴教授(以下、広橋先生)はメディアの取材に対してこう話した。どこか捉えどころのない、それでいて誠実さを感じる佇まい。いったい、どんな人なんだろう?

興味を惹かれたフカメディア取材班は一路、島根県へ。ちょっぴり謎めいた指揮官を、こんどはフカメディアが解剖してみたい。

半分しかできていない建物でスタートした研究人生

広橋先生のラボは島根大学 松江キャンパスにある。ラボを探し、指定の研究棟をウロウロ。すると某イカキャラクターの切り抜きと、ダイオウイカvsマッコウクジラの絵が貼ってあるドアが目に入った。…ここですね。

ルームプレートを見るまでもないけど、チラリと横目で確認。そこには間違いなく、広橋先生の名前があった。めちゃくちゃ「イカのひと仕様」じゃないですか、と心の中でツッコミながらドアを写真に撮ったところを、後ろからやってきた部屋のヌシに見られてしまう。非常に気まずい状況から取材がスタートした。

こちらが広橋先生のラボ。現在12人の学生が所属している。

このラボで動物の繁殖生態を研究する広橋先生は、新潟県長岡市の出身。長岡といえば!すぐにピンとくるほど、花火が有名な町だ。その長岡で青少年時代を過ごし、東京工業大学へと進学。第1類(現在の生命理工学院)に入学し、物理学科を目指した。

「子どもの頃はもちろん魚を獲ったり虫を飼ったりしたけど、高校に入るとだいたい数物系ですよ。面白いから。大学に入った時はまだ生命科学系がなくて、2年生になる時に生命理学科ができた。そこからバイオ系ですね」

進路選択の理由を、物理が面白かったからだと振り返る。説得力に満ちた、シンプルで力強い動機。中学数学で芽生えた苦手意識がサイン・コサイン・タンジェントで大輪の花を咲かせ、20点の答案という渋い実をつけてからは理数科目を徹底的に避けて文系の極みのような仕事をしている筆者には、「数物系は面白い」という感覚が衝撃だった。

東京工業大学に1986年に新設された生命理学科の一期生として、研究人生をスタートした広橋先生。どんな大学時代を過ごしたのだろうか。

「建物が半分しかできてなくて。2つ建つはずのところ真ん中がビニールシートで覆われてて、パッっと開けると向こうが何もないという。こっちはもう人が入って実験してる。今じゃありえないよね」

その光景を思い出しているのか、愉快そうに笑う。想像していた思い出話の、遥かナナメ上をいく強烈なエピソードが飛び出した。なお、建物は1年後くらいに無事完成したという。

遺伝子学の父が挑んだ、生物学100年の謎を追った大学時代

向こう半分が絶賛工事中という環境で取り組んだのは、海産無脊椎動物の研究だった。海産無脊椎動物とは背骨のない動物で、イカやタコ、エビ、カニ、サンゴ、イソギンチャク、ウニなどの海に棲む生き物を指す。ただ、この時はまだイカに触れることはなかった。

「最初はマボヤ。雌雄同体の生き物の精子と卵がどうやって受精していくのかとか、今とあんまり変わらない研究をしてました」

これがマボヤ(大阪大学大学院理学研究科生物科学専攻西田研究室のWEBサイトより)

卵巣と精巣の両方を1つの身体に持つものが雌雄同体。そうなると自分で放出した卵と精子で受精を自己完結できてしまうのでは?と考えてしまうが、自家受精は起こらない「自家不稔性」というメカニズムが存在する。

「どうやって自家不稔性が成立してるか。トーマス・ハント・モーガンっていう有名な遺伝子学の父が100年前から研究して、最近まで解かれてなかった問題なんです。当時のボスがそれに興味を持って取り組んでいたので、自分もそれに近いことを」

繁殖生態学という分野が少し見えてきた。書いて字のごとく、繁殖行動を解き明かすことで生態の謎に迫る学問なのだろうと想像できる。東工大生だった広橋先生は、マボヤの繁殖生態研究で学位を取得した。

イカの女王との出会いが転機に

学位を取得した後はアメリカに渡り、ウニの繁殖生態を研究。8年ほどして日本に帰ってきてからは、ヒトデのほかマウスの研究にも取り組んだ。

「多くの人がマウスで研究してるって自分のことを認識してる。受精ってお腹の中でするから見えないじゃないですか。それを顕微鏡下に置いて再現するんです。そこはかなり時間かけてやりました」

かつて「マウス精子の受精に至る全プロセスのリアルタイムイメージング」という研究課題に取り組んでいたことが記録に残っている。無脊椎動物や哺乳類の繁殖生態に取り組んでいた研究者が、イカにしてイカと出会ったのか。広橋先生とイカを結びつけたのは1人のカメラマンだったという。

「サイエンス系コンテンツを撮ってるカメラマンが、哺乳類の受精を撮影したいってことで研究室に来るようになって。彼は北海道大学の水産学部卒で、イカばっかり研究してる岩田さん(※イカの女王との異名を持つ、東京大学の岩田容子准教授)の先輩。2人がヤリイカの産卵を撮影しに行った時に採れたイカの精子を、自分のところに持ってきた。そこからですね、面白い!って」

2010年ごろのこと、これがイカとの出会いだった。持ち込まれた精子を調べはじめてすぐに、不思議な現象を見つける。

「オスが2匹いたら、精子の長さが違うんです。同じヤリイカなんだけど、身体が大きなヤリイカは小さな精子で、身体が小さなヤリイカは大きな精子。こんな動物は初めてで、不思議だなって」

上が小型のオスの精子で下が大型のオスの精子。大きさが逆転していることが分かる(画像提供:広橋教貴教授)

イカの面白さを知ってからは、マウスとイカ、半々で研究に取り組んだ。しかし競争相手が多いマウスは徐々に店じまいをし、イカを多く研究するように。そうなるとやはり「イカのひと」であり、ダイオウイカ研究者とも言えるのでは?と思ってしまうが、そうではないらしい。

「甲殻類もやるし、ダイオウイカなんてまだ2例しか見てないですから。10年も20年もダイオウイカを追いかけて、深海にカメラを担いで行く窪寺先生(※ダイオウイカ研究の第一人者である窪寺恒己博士)みたいな人もいるわけだし。アメリカでも潜水艇で見てる人もいるわけだから、そんな人たちを差し置いてダイオウイカの研究者です、なんて絶対に言えない」

冒頭の言葉は、長きにわたってダイオウイカを追い続ける研究者たちへのリスペクトから出たものだったのだ。だとしても、長い時間をかけて繁殖生態の解明に取り組んできた研究者視点からのアプローチもまた、等しく貴重なものではないだろうか。

解剖したダイオウイカの胃の中は?

半分しかできていない建物でマボヤを調べはじめてから38年。イカと向き合ってきた年数が、研究人生の1/3を超えた。最近では「島根大にイカを研究してる先生がいるから」と、窪寺先生から取材対応のお鉢が回ってくることもあるという。

イカ研究の実績も着実に積んでいる広橋先生。香美町で解剖したダイオウイカについて、その後分かったことがあるか聞いた。

「胃の内容物を調べたら、ウロコや骨が複数出ました。遺伝子の配列を調べて種が判明すると、いま分かっていないことが分かる。例えば、ウロコが深海性の魚のものだったら、やっぱり冷たい海に棲んでるかもしれないねとか」

香美町で捕獲されたダイオウイカの胃内容物。何を食べたのか、想像がふくらむ(画像提供:広橋教貴教授)

諸々の調整をして遺伝子解析を進めたいという。淡々とした話ぶりながらも、ダイオウイカの生態を解明したいという静かな熱意が伝わってくる。ダイオウイカ研究のバトンを繋ぐネットワークのようなものがあるならば、その一翼を確実に担っている。

取材当日のラボでは、学生たちとホタルイカの性決定様式について意見を交わす一幕も。イカの繁殖生態解明を試みる日常の、その一端が見て取れる。「イカのひと」として認知される日は、そう遠くないのでは?と予感させる広橋先生は現在58歳。国立大学の定年は65歳なので、そろそろ定年後のことを考えることもあるのではないかと問うてみると…

「考えたことはあると思います。けど、考えたとおりになるとは限らないですよね。完璧に辞める人、どこかに残る人、いろんなタイプがいますけど、自分がどのタイプになるのかよく分からない。でも車を走らせてダイオウイカを捕る、顕微鏡があれば覗く。自分の研究は別に大学がなくてもいい」

不確実な未来よりも、できることに視線を向ける。リアリストというよりは、言葉にしたことに責任が取れる未来に向き合おうとしているようで、とても誠実な感じがした。

向こう半分が未完成という、とんでもない場所で研究をした人だ。きっとどんな環境でも、視線の先にいる研究対象と誠実に対話をするんじゃないだろうか。そんな広橋先生がダイオウイカの謎にひとつでも多く応えてくれるのを、楽しみに待ちたい。


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