連載「タコのいる日々」とは
タコは賢い!・・・って、知ってましたか?海の賢者とも呼ばれる、無脊椎動物最高クラスの知性をもった生き物、マダコ。その知性は、ユーモラスで温かいんです。そんなマダコたちと一緒に過ごす、てんやわんやの楽しい日々。そして、寿命たった1年の生き物と一生を共にして培われる絆。連載「タコのいる日々」では、そんなマダコ飼育とマダコのいる日々の風景をお届けします。



みなさんこんにちは。マダコのちくわをお迎えして、もうすぐ1年になります。一緒に1年は過ごそうね!そう声を掛けつつ、そしてタコの寿命を知りつつも……でも何年でも一緒にいたいよね!と思うのは私のエゴなのでしょうか。もちです、こんにちは。
くろまめ物語
前編に続き、マダコの長期飼育に再挑戦する前に出会った、くろまめとの物語を綴っていきます。くろまめはマメダコとテナガダコを足して2で割ったような見た目。大きさはマメダコに近しく小さい。手を思い切り伸ばして10cm~15cmくらい。体色は黒~灰色、目もつぶらで黒い、まだ分類がされていないような種類のタコでした。後でわかることなのですが、くろまめはこのサイズで大人。既に成熟した個体だったのでした。そして、その小さな小さなサイズからは想像ができないほどの知性と愛情を伝えてくれたタコでもありました。

水槽蓋の付近に貼り付くくろまめ。体の小ささが際立つ。
夜行性が強かったくろまめ
タコには昼夜活動する種もいれば、昼行性といって日中活動する傾向が強いタイプや、夜行性といって夜間に活動する傾向が強いタイプもいます。くろまめは夜行性の傾向が非常に強いタコでした。昼間はまったく出てきてくれない。ライブロック(水槽インテリア用の岩)を入れると、スキマに隠れて全く出てこないので小さな土管を入れていました。これを気に入ってくれて中に入っていたのですが、昼間は隠れたままで全く出てきません。そして、夜になり部屋の電気を消すと、そろーりと出てきて水槽の中を泳ぎ回っているのでした。

部屋が暗くなり、土管から出てくるくろまめ。写真では明るく見えるが、肉眼ではかなり暗く見える。
夜行性のくろまめと遊んだ思い出
夜行性のくろまめとスキンシップをとるのには工夫が必要でした。暗くないと出てこないのですから。また、当たり前ではありますが、本当に真っ暗にしてしまうと私がくろまめを認知することができないのですから。

部屋が明るい時の給餌の様子。岩の隙間から勢いよく腕が伸びてきて、キャッチした餌を急いで持ち帰る。
試行錯誤をした結果、ガチャガチャで獲得した小さなライトのオブジェが中々いい仕事をしてくれました。複数点灯させておくと、なんとなく部屋の中がぼんやりと明るくなるのです。そして、ほの暗く霞の掛かったような視界の中でしばらく待っていると、くろまめがそろーりと住処から出てくるのです。視覚的には白黒写真のような景色。ハッキリ色々なものは見えないし、ハッキリ色も分からないけれど、くろまめのことはそれなりにしっかり認知できる。そういう景色の中で、私は水槽の中に手を入れてくろまめとスキンシップをとりました。警戒心が強いのかな、と考えもしましたが、暗い中ではかなり積極的にスキンシップを取ってくれたことから、やはり夜行性の問題だったのだと振り返っています。

間接照明代わりにしていた海鮮丼のライト。色とりどりで幻想的な雰囲気である。
今でも、くろまめとのスキンシップは印象に残っています。どんな触れ合いをしたのかや、どんな引っ張り合いをしたのか(タコは結構引っ張ってきます(笑))もそうなのですが、やはり一番印象に残っているのはその景色。白黒写真のような視界でくろまめと触れ合うのには、なんだか少し現実離れした気持ちになって、私の方が水槽の中に歩み寄っていっているような実感が強い…そんな没入感を感じたものでした。
タコにあゆみよる人、そして人にあゆみよるタコ
くろまめが活動できる暗さにして、私は少し世界が見えにくいけれど、くろまめと遊びやすいようにする。私がタコに歩み寄っていくような素敵な体験でした。どうしても、水中に暮らす生き物を飼育すると、水と水槽の壁面という隔たりを感じるものです。それをなんとなくとっぱらってしまうような、そんな幻想的な雰囲気があったのでした。
さて、私は忘れもしません、あの日のことを。くろまめはいつも住処から出てくると、私の指にくっついたり、指をひっぱったりと色々なことをしてくれたものですが、その日は私の手を避けるように水槽の中を泳ぎ、なんだか様子もいつもと違うような雰囲気でした。「もしかしたら、くろまめに嫌がることをしてしまったのかな?」そういう不安が心の中にふっと浮かんでは沈みを繰り返していました。
「それでも、今日もくろまめと遊びたいな」そう思ってくろまめを追いかけていると、いきなり指・腕にぎゅっと巻き付いてきました。時間にしてあっという間、本当に一瞬のことでしたが、一生記憶に残るほど強く、そして隙間なくくろまめが私の手のひらに抱擁をしたのでした。
「よかった!嫌われたんじゃなかった!」
そう思ったのもつかの間、くろまめは私の手からスッと力を抜いて住処に戻ってしまったのでした。
夜行性のくろまめは、夜間はひっきりなしに泳ぎ回っていることがほとんどでしたので、住処に戻ってしまうこともこれまでにないことでした。その日の遊びは諦めて電気をつけると…
なんと、くろまめの住処の土管の中に卵が!!!
その日消灯する前には間違いなくなかったので、私の手に抱擁をして、その後土管に戻り、そして水槽の蓋を閉めたり床の掃除をしている間に産んだのでしょう。タコには多数の卵を産む種と、少数の卵を産む種類があります。くろまめは10個前後の卵を産む、少数の卵を産む種類だったので、短時間で卵を産んだものと思われます。
挙動不審だったくろまめの様子は、産卵の予兆だったのでしょう。なぜだか遊んでくれなかったのも、もうこれから卵を守る態勢に入るからだったのでしょう。でも、私はくろまめと遊びたかった。そんな私に、歩み寄ってくれた、短くて深いその瞬間が、あの抱擁だったのでしょうか。全てを知ることはできませんが…今までに一度も経験のなかったくろまめの強い「最後の抱擁」、その時に私が感じたものが、なんだかとっても優しく温かいものであったのは間違いありません。

くろまめが産卵した卵。くろまめは土管の後方に行き、卵を見せてくれている。
くろまめの知性
タコの知性が高いことは周知されてきていますが、私はタコとの接点を持てばもつほど、その知性の多様性や深さに感銘を受けるばかりで、永遠に理解し切ることができないのもタコの知性であると感じています。さて、くろまめは果たして賢いタコだったのでしょうか。私は、くろまめは体の大きさに対して非常に高い知性を持つ種だったのではないかと感じています。タコの知性とは、ということを説明することは難しいです。ですが、私がタコを見ていて「賢い」と感じる時の例をあげるなら、
- 興味や関心といった知的好奇心を示すとき
- 生存に不要な行為をとるとき
この2つの行為には、私は特にタコの知性を感じます。くろまめとの思い出の一つですが……テレビを見ていたところ、いつもは部屋が明るいと出てこないくろまめが、いつの間にか土管の上に乗っかってテレビを見ていてびっくりしたことがあります。その後、飼育するタコたちの多くがテレビやスマホに興味を示すことを経験していくわけですが……振り返れば、それはくろまめが好奇心を示していたのだと思います。また、くろまめは色々なものをよく見てよく観察するタコでした。夜行性ではありましたが、昼間もくろまめの姿を探してみると、かくれながらも目は外に向けて色々なものをよく観察していることが多かったです。いろんなものを見て、興味を示すのは、知性の表れの一つかと感じます。そして……
本能をこえた絆
これまでも書いてきましたが、小型~中型のタコは寿命を1年前後とすることが多いです。その上で、交接や産卵といった生殖活動を行うと、それまでどれだけ生きてきたかに関わらず、その時点から残りの寿命がある程度定まり、餌も摂らなくなり、寿命のカウントダウンが始まるのです。
くろまめの抱擁を「最後の抱擁」と表現したのはそういう意味も込めて、です。産卵をしたら、くろまめはそこから先、原則的に餌を摂りません。ひたすら残りの命を燃やして卵を守り抜き、そして卵が孵化し稚ダコが浮遊していくとき、母ダコは沈み、亡くなっていく運命なのです。
はたして、くろまめは最後に私に抱擁をする必要はあったのでしょうか。生き物としては、種としては、それは不要だったはずです。でも、くろまめにとっては必要だったのではないかと私は思うのです。くろまめにとってカウントダウンされるのは寿命だけではありませんでした。新しい命の誕生までのカウントダウンが始まっているわけでもあったのです。そして、私との付き合いの終わりへのカウントダウンが始まったということでもあったのです。くろまめは、それらを全部大切にしてくれました。生殖活動には必要ないかもしれない私との触れ合いを大切にして、最後の最後、生き・活動し・命を残す定めを全うするためには不要な抱擁をしてくれたものだと私は考えています。賢いからこそ、時に本能を超えた行為をする。知性の尊さの一つかもしれません。
終わっていく命・消えない愛情
くろまめはそれから、やはり定説通り餌を食べなくなりました。そして、卵を守り、卵のケアをする毎日を過ごしていました。驚くべきはくろまめを見に行った時の行動でした。くろまめは、傘膜で包むように隠している卵から足を離し、卵を見せてくれるのです。いつ見に行っても、卵を見せてくれるのでした。そして、時には卵の房を足で掴んで持ち上げ、見せてくれるのでした。子孫を残すためには不要、なんならリスクしかない行為を、くろまめは死ぬ直前まで続けてくれました。くろまめの命の灯は日に日に弱くなっていきました。その命の炎が消えゆくとき、されど消えなかったのはくろまめの私に対しての愛情だったのかもしれません。小さい生き物の命をお預かりしていても、時に自分の方が気を使われているような気持になる……タコを飼育しているとそういったシーンがしばしばありますが、くろまめのそういった愛情も例に漏れないものでした。自分が一番大変な時にも、くろまめを気にかける私を、私よりももっと気にかけてくれるくろまめの深い懐があったのでした。
想い出は消えない
1か月ほど経ったころ、くろまめの卵から可愛らしくて小さな稚ダコが生まれてきました。前日まで卵のお世話をしていたくろまめは、卵の下に横たわり動かなくなっていました。綺麗な姿のまま、天命を全うしました。寂しかったです。悲しかったです。どんなに悔いのない過ごし方をしても、どんなに最後の最後まで絆が繋がっている実感があっても、お別れはとても寂しくて悲しくて切ないです。今でも、安らかに横たわる冷たいくろまめの上に落ちた涙の温度を覚えています。悲しさや切なさは、それでも少しずつ和らいでいきます。そんな中、くろまめと過ごした日々、そして一緒に共有した感情は、されど薄れることはありません。色々なタコと過ごしてきました。どのタコとの思い出も、すべて記憶に鮮明に残っています。一緒に生きた時間。その想い出は消えません。くろまめ、ありがとう。

卵から孵った幼体。これもくろまめの愛情の結晶だ。
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